台風に翻弄された1週間が過ぎた。
雨が上がると、庭のあちらこちらに黄色い花が咲いた。
花の名前はわからないけれど、
なんだかほっとしている。
中野吉之伴サッカークリニックから
あっという間に3週間が経った。ご本人の中野さんも
日本での指導&講演行脚と、
ドイツ・オランダの視察ツアーが終了し、
日常に戻られたご様子。
私は、すでに来年の夏に向けての構想、妄想?を
頭の中で巡らせている。
さて、本題。クリニック開催の前に、
知り合いのサッカー指導者さん達に、クリニックに参加したという仮定で
どんなことを知りたいか尋ねてみていた。
返信を頂いた中にこんな内容があった。
「日本は、技術→認知→判断で指導すると言われていて、
ドイツや欧州のサッカーはその逆と言われています。
全く足元の技術がない中で、判断、認知が正しくても
サッカーにならない場合は、育成年代は 面白くないと思うんですが、
そこを子どもたちにどうやって伝えているのでしょうか?」
中野さんがよくお話されるのは、
“サッカーは仲間との関わりの中でやるもの”であるという大前提。
当たり前のことなのだけれど、その前提がある中で、
日々の活動があるのとないのとでは、大きく違うということだ。
自分と仲間との間で、どんな選択をするのか?を
ちょっとずつ違うシチュエーションの中で繰り返し体験するすることが大切で、
指導者は、そのシチュエーションが生まれる練習内容を創造して、
選手が自ら、見つけて、感じて、やるべきことを考えるように
促すオーガナイスが行う。
選手は、言われたことをやるだけでなく、周りをよく見て、考えて、
自ら判断したやるべきことのために必要な技術を必然的に獲得する。
そんな循環が、中野吉之伴さんのクリニックの内容でもあった。
一方で、いつ来るともわからないシチュエーションのために、
技術という引き出しをたくさんつくり、
ようやくやってきたシチュエーションに合わせて、その引き出しから
対応する技術を出して使うとする。
長い年月をかけて経験を積めば、それはそれでよいかもしれないけれど、
両者の方法の間には、瞬間の判断の行程に、圧倒的なタイムラグが生じる。
だからこそ、ドイツでは、全国的なコーチ会議で、フニーニョの取り組み方が再構築され、
みんなでやるサッカー以外の自由な時間が、
みんなで集まってサッカーをする時間に還元される。
今回のポイント解説講座の中で、中野さんは、
知り合いの元ドイツ代表選手が、ブンデスリーガの下部組織でプレーしている
息子さんの試合を見に行って、監督から『フォワードだから、ボールを受けたら
止めて、味方におとして前に出ていけ』と指示され、何度もその指示を成功させた
息子さんに『今日の試合はひどかった』と伝えたというエピソードを紹介していた。
「フォワードなのに、後ろで何が起きているのかを見もせず、
ボールをおとしてプレーした息子さんの状況判断に対して、
試合の中では、状況を感じること、かぐことをしないと判断は積み重なっていかない
と話した」そうだ。
技術は、状況の中から生み出される。そして、一緒に育っていく。